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2006.03.05

泣き声は抱いて待て

 「熟田津に船乗りせむと月待てば  潮もかなひぬ今は漕ぎいでな(額田王)」
 
 気象警報、海上警報、海難警報をもって海上の安全情報を船舶運行者に対し迅速に提供する海上保安庁の業務は、今日の海上輸送・交通には欠かせない。こうした情報提供のおかげで、月を待たずに漕ぎ出づる無謀さは激減したが、どんなに船舶技術が進歩しようとも、荒波を前に月を待つことしかできない人間の無力さは万葉集の時代から変わらない。

 育児をしていると、未だに「抱き癖」を心配する声を耳にする。「抱き癖」という心理的性質が存在することは育児経験をした人ならば誰もが了解することだろう。乳児にもある程度の学習能力が備わっている。「泣けば抱っこしてもらえる」という因果理解が成立していることは確かである。赤ん坊が泣いてもすぐに抱き上げず、しばらく泣かしておかなければならない。赤ん坊は泣くのが仕事だ。「抱き癖」は子どもの甘えを助長し、その甘えはその後の発達に暗い影を落とす。抱きたい気持ちをグッと我慢するのが育児の基本である。一昔前のしつけ論では、この考え方が本気で信じられてきた。「鉄は熱いうちに打て」なのである。

 人間の成熟(maturation)と学習(learning)の関係を取り扱った心理学研究の歴史はそれほど新しいものではない。中でも1929年ゲゼル Gesell,A.L.らによって発表された「階段のぼり実験」は有名である。ゲゼルは、ある一卵性双生児の一方には生後46週~52週まで階段のぼりの訓練を行い、もう一方にはその間一切訓練を行わなかった。生後53週になった時点で両者の階段のぼりの所要時間がどのくらいかをそれぞれ測定したところ、訓練児は26秒、非訓練児は45秒であった。その後2週間、両者に階段のぼり訓練を行い、再度時間測定を行った。その結果、当初の訓練児は依然として26秒かかっていたのに対し、当初の非訓練児は何と10秒で階段を上ってしまったのである。ゲゼルはこの結果から、訓練や教育といった環境側からの働きかけよりも、子どもが本来内面に有する成熟性の方が、子どもの発達においてはるかに優位性を持っていることを指摘した。この研究に関して、その後主に研究手続き上の批判が相次ぐことになるが、学習万能理論である行動主義心理学が全盛の当時にして人間の内的能力の重要性を指摘したことは極めて意義深く、ヴィゴツキー Vygotsky,L.S.やブルーナー Bruner,J.S.によるレディネス(readiness)研究への道を開いた点でもその寄与は大きい。

 「抱き癖」を心配して抱かずに放って置かれた子どもがサイレントベイビーと化すことはよく知られているが、ストレス過敏性を高める元凶になるという脳科学研究もある。しつけや訓練もよいが、成熟の十分でない子どもに階段のぼりを教え込んでもあまり意味はない。月を待たずに漕ぎ出でれば難破するのがオチである。人間の内なる荒波は、人間の巧みな航行技術を一瞬にして飲み込む破壊力を持つ。人間はただ荒波の性質を理解し、荒波の過ぎ行くのを待つより他に術はない。抱っこをせがむ時期は、外的世界が自らの働きかけに応じてくれる信頼するに足る世界であることを体感する時期といえる。激しい泣き声という荒波にも意味がある。鉄を熱いうちに打つのは良いが、熱さ加減を知らず闇雲に打てば容易に壊れてしまう脆さを人間という鉄は抱えている。
 
 日銀が量的緩和解除のタイミングを狙っている。日本景気の潮は日銀の舵にのるか、そるか。平成不況の荒波をじっと待ち続けた日銀の新たな船出を見守りたい。

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