郷を失くした人々
過疎化が進む地方の自治体で、高齢者向けコミュニティビジネスの意気が揚々だ。介護福祉・医療分野はもちろん、高齢者向けの弁当宅配サービスや買い物代行サービス、高齢者たちの集い場提供サービスなど、自治体や企業、NPOなどがこぞって創意工夫を凝らしている。少しでもお年寄りの住み良い街をつくりたい。そんな建前の裏側には地方都市の厳しい懐事情が見え隠れする。少子高齢化と過疎化という日本の抱える大きな荷物は地方都市ほど重い。
私が最近転居した地域には、「御日待(おひまち)」と呼ばれる年中行事がある。元来は氏神や産土神といったその土地の神を信仰する民間信仰の儀式であった。現在では信仰という色彩が薄らぎ地域住民同士の親睦やコミュニケーションの場として活用されることが多いという。それまで住んでいた地域にはこのような行事がなかったため当初は戸惑ったが、地域コミュニティの崩壊が叫ばれる今日にあって、こうした伝統の残照に幽遠の境地を覚えた。
所属する集団内にメンバーを自発的に留まらせるために集団そのものが持つ力や性質のことを心理学では集団凝集性(group cohesiveness)という。学校や会社で気の合う仲間同士のグループが成立するには、「何でも話せる」「困ったときは助けてくれる」など個人がそのグループに所属していたいと思わせるような魅力がなければならない。こうした集団の魅力は大きく三つに大別される。第一に、集団の他成員の魅力である。その集団に話を親身に聞いてくれる成員がいるならばそこに留まりたいと願うのは当然であろう。第二に、集団の目標の魅力がある。多くのデモ隊はプラカードを掲げて遊んでいるわけではない。何らかのメッセージを伝えるという目標のために一致団結しているのである。第三に、集団成員性(group membership; 集団内の構成員であること)への威信がある。多くの学生が大手企業に就職したがるのは大手企業の社員であることに威信を感じるためである。こうした魅力によって強固に結びついた、いわば凝集性の高い集団は、個人に対して多くの恩恵をもたらしてくれる一方で、厳しい制約をも与える。集団内における意見の相違やルール違反によって、派閥闘争が生まれたり、疎外やいじめが生じたりすることは、しばしば散見される事態である。こうした事態は、集団内の同調的態度や規約遵守が、明示的、非明示的にメンバーへの圧力として存在していることに起因する。このメンバーに対する強制的な圧力を斉一性への圧力(pressure toward uniformity)という。集団凝集性が高ければ高いほど、この圧力が強くなることが知られている。
高齢者向けコミュニティビジネスは目先の利益を追っているに過ぎないという指摘もあるが、必ずしもそうは言いきれない。団塊の世代以降の人々の郷土愛などどれほどか。高齢者向けコミュニティビジネスはそこに目をつけている。郷土愛の薄れた世代はまさに目先の魅力に惹きつけられ住処を決める。これからの高齢者は良質なコミュニティサービスを提供する地域を次々と流離うことだろう。住民の流動化が進む中、時代に取り残された地域の破綻はもうすぐそこまで来ているのだ。
古き良き日本の伝統、郷土愛の中には、集団成員性への威信が確かに存在した。村民たちは村民であることに、町民たちは町民であることに、大きな誇りを抱いていた。自治体や企業やNPOからのサービスなどよりも、いつもの山が川が橋が学校が鳥居がそこにあるからこそ、彼らはその村や町を愛した。しかし、郷土愛に支えられたムラ社会はその凝集性の高さゆえに、成員たちを強く縛った。かつて「御日待」に参加しないなど言語道断であり、そんな輩はすぐにつまはじきにされたに違いない。またこの凝集性の高さが同和問題などの深刻な差別や偏見を生む土壌にもなった。こうした不幸への反動から、差別のない自由な社会を手に入れた我々の心は、さてこれから一体どこに根差そうというのか。
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