« 大量花粉で傷つく心 | トップページ | 明日地震で死ぬ不安 »

2006.03.11

幡も風も心も

 母親と生活していた頃から、少年には不登校や家庭内暴力が見られたという。母子の行き詰った生活に新たな風を吹き入れようという試みは、父親とその再婚相手と生後2ヶ月の長女によって構成されるステップファミリーという形態をとった。なぜこの家族は炎に包まれねばならなかったのか。生育環境や家庭環境、学校問題、心脳問題。東京世田谷で起きた中学二年生の少年による自宅放火事件は、人間の飽くなき原因究明への欲望をまたしても駆り立てるに違いない。
 
 南宋の禅僧、無門慧開は『無門関』という書物を著し、禅問答の本質を説いた。その中に、非常に有名な「非風非幡」という問答がある。二人の僧が幡(はた)が風に揺れる様子を眺めながら、一体何が動いているかについて言い合いをしている。一方の僧は「幡が動くのだ」と主張し、もう一方の僧は「風が動くのだ」と言う。その押し問答を聞いた祖師は、「幡が動くのでも、風が動くのでもない。お前達の心が動いているのだ」と言った。しかし無門は、二人の僧の幡や風が動くという言動のみならず、祖師の心が動くという言動の浅薄さをも指摘した。無門いわく、幡だの風だの心だのと言葉にしてしまった時点で、すでに物事の本質を見失っているのである。
 

 人が何らかの事象や行動の原因を推論することを、心理学では原因帰属(causal attribution)という。人々が様々な事象や行動をどのような原因のせいにするのか、その傾向を解明していこうとする研究領域である。この領域の研究は現在多岐にわたっているが、古典的なものの一つに、ロス Ross,L.によって提出された「基本的な帰属の誤り(fundamental attribution error)」がある。人は他者が何らかの行動を示したとき、その行動の原因をその人物の性格や態度や能力などその人物が持つ内的な属性に求めやすいという傾向をもつ。その傾向ゆえに、たとえその人物が外的な圧力によって行動を強制されているような場合においてさえも、その事実を知らなければ誤って内的な属性に原因帰属をしてしまうのである。この誤りを基本的な帰属の誤りと呼ぶ。受験に失敗した本人がその原因を学校教育の不備に求めてみても、一般的にそれは言い訳であると解釈される。これは、不合格という事象の原因を本人の学力という内的属性に帰属しやすい人間の基本的原因帰属の傾向に起因している。学力が足りなくて落ちたくせに、学校教育に責任を擦り付けるとは不届き千万というわけだ。
 
 「あいつ、不登校になっちゃったらしいよ。」
 「あ~、あいつは根暗なヤツだったからな。」
 ある事象や行動の原因を人はしばしば個人の内的属性に帰属してみせるが、その内的属性は外的な要因から無縁といえるか。不登校の原因として理解された根暗という性格特性は、生育環境や家庭環境、学校環境、地域環境など多様な外的要因に影響を受けて形成されてきた。だとすれば、不登校は外的要因によってもたらされたともいえる。幡も風も心も動いているだろうが、他のものも動いているのである。極論すれば、全てが動いている。しかし、これでは何も言っていないのと同じなので、それならばただ黙って眺めよ。これが無門の説く悟りといえよう。
 
 ワイドショーはこれからこぞって自宅放火少年の内的属性のあぶりだしにかかるだろう。無門の教えに従って、「ほお、そんな事件がありましたか。」とただ眺めていては、番組が成り立たない。幡が風がと騒がれる中で、実は心が動いているのだとちょっと衒ってでもみなければ、ワイドショーのコメンテーターは務まるまい。しかし、言葉によって事象を切り取るとき、切り取っている自覚を持っているのといないのとでは、その言葉の持つ深みがまるで異なってくるであろうことは、かつてライブドア前社長堀江氏の言動を見聞する中でつくづく感じたことである。

|

« 大量花粉で傷つく心 | トップページ | 明日地震で死ぬ不安 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/41680/980903

この記事へのトラックバック一覧です: 幡も風も心も:

« 大量花粉で傷つく心 | トップページ | 明日地震で死ぬ不安 »