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2006.03.09

大量花粉で傷つく心

 控えめな佇まいの梅の蕾が、例年より少し遅めのほころびを見せている。この冬の厳しい寒さは、梅の花の優美な勢いを挫いてしまったが、人間の鼻の無益な勢いも挫いてくれたようだ。今年はマスクや目薬の売れ行きも鈍いという。
 
 早春の爽快な陽気を台無しにする花粉症などのアレルギーは、人間の身体に備わっている優れた免疫機構によってもたらされる。免疫機構は、細胞レベルで「自己」と「非自己」とを選別し、「非自己」を駆逐することで「自己」の純粋性を保つ仕組みである。近年のアレルギー疾患増加の要因として、外部環境における花粉やハウスダストなどの抗原(アレルゲン)という特定の「非自己」の増加と、食生活変化や体内寄生虫減少による人体内部の「非自己」駆逐部隊の余剰が指摘されている。アレルギー現象は「非自己」への潔癖さゆえに「自己」までも駆逐していく免疫機構の持つ脅威を映し出す。
 

 精神障害の病態レベルを理解する際にしばしば用いられる概念に自我境界(ego boundary)というものがある。自我境界とは、自己と他者、あるいは自己と外界との間に存在する境界のことである。自分は自分固有の思考や感情を有し他者のものとは異なるという心理的な境界感覚を内的自我境界(internal ego boundary)と呼び、自分は自分固有の身体を有し他者のものとは異なるという身体的な境界感覚を外的自我境界(external ego boundary)と呼ぶ。健常者にとってこの当然すぎる感覚が精神障害を患うと異常をきたす。通常、健常者は自我境界が極めて柔軟である。例えば、他者と激しく議論するようなときには厳然たる態度で自我境界を明確化することもできるし、恋人と過ごす甘い時間には自我境界を和らげ相手との一体感に浸ることができる。健常者は、自我境界の緊張と緩和の状態を自覚し、それを統制することができるのである。ところが、不安障害(anxiety disorder)に代表される、いわゆる神経症(neurosis)状態になると、自我境界が硬直化する。不安や恐怖によって自我の力が弱まっている中でそれ以上の傷つきを防ぐために、他者の意見や態度から自我境界を分厚くして身を守るのである。また、境界性人格障害(borderline disorder)では、自我境界が曖昧となる。境界性人格障害にしばしば見られる恋人や配偶者への激しい依存と攻撃の連鎖は、自我境界の存在を理解しながらそれを認めず一体感を味わい続けたいという欲求と、しかし実際には強固な自我境界が存在し相手を自分の意のままにできない現実への憤りの表れである。さらに、統合失調症(schizophrenia)の水準になると、自我境界は混沌とし始める。自分の心の声が他者の声として感覚的に聞こえてくる考想化声(audition of thought)と呼ばれる症状などはまさに自己と他者の境界が混沌としている様子をうかがわせる。
 
 「非自己」駆逐部隊の一つ、B細胞と呼ばれるリンパ球は、花粉やハウスダストなどの「非自己」を「自己ではない」と認識し、その「非自己」に妥当な抗体を作り出す働きを持つ。B細胞の特筆すべきはその多様性への対応力にある。B細胞はいかなる「非自己」にも対応できる受容体を作ることができるのである。環境衛生の改善で我々が出会う「非自己」の多様性は乏しくなった。逆に、人工林や欧米型住環境の影響で花粉やハウスダストなど特定の大量な「非自己」ばかりに出会うようになった。これではB細胞の多様な対応力も出る幕はない。アレルギーは、人間の身体が本来的に有する多様性への対応力の破綻を意味する。
 
 常識的に言って、様々な人や文化の様々な意見や価値に出会うことは我々の人生を豊かなものにしてくれる。それは、我々自身の意見や価値に多様性が備わり、人生の様々な出来事への対応力を高めてくれることでもある。逆に、自我境界が硬直化し他者との間に分厚い壁を作り他者の意見や価値を取り込まない状態が慢性化すると、現実への対応力が鈍化し、ますます傷つきやすい人間となる。敏感すぎる心は、大量の花粉やハウスダストによって、容易に激しいアレルギー反応を起こすのである。
 
 中国の目覚しい経済発展の一方で、一向に進まない政治改革を懸念する声が世界を巡る。一党独裁による「自己」の純粋性を潔癖に保ち続ければやがて「自己」までをも駆逐していくアレルギー反応には中国当局も敏感である。「非自己」の影響力を薄めながら取り込み、徐々に抗体を作っていきたい戦略のようにも見える。日本も民主党に早く立ち直ってもらって、自民党のアレルギー反応を未然に防いでもらいたいものである。メール問題で卑屈になりすぎて、自民党の自我境界の硬直化に揺さぶりをかけるという野党第一党の本来的責務を見失ってはならない。

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