哀愁は流し雛に乗せて
ひな祭りの起源は紀元前4~3世紀頃の中国にある。当時の中国は春秋戦国時代の後期で動乱の世も佳境を迎えていた。そんな中、小川のせせらぎを聞きながら詩歌を詠み交わす「流觴曲水宴」という宴が荒廃した人々の心を和ませた。小川は戦乱の労苦を水に流してくれた。ここから、人形に自らの災厄を背負わせて、小川のせせらぎに流す「流し雛」という行事が誕生したという。
戦乱からははるかに遠い現代日本社会においても、水に流したい過去というのは誰しもひとつくらい持っているものであろう。しかし、忘れようと努力すればするほど、大きく頭をもたげ心を乱すから始末が悪い。現代のひな祭りでは、ひな人形を川に流さず、ひな壇に飾ったり押入れの奥に仕舞い込んだりするから、忘れたい過去や苦悩もなかなか水に流れないのではないか。
ある物事を考えないように努力することを心理学では思考抑制(thought suppression)という。この分野の研究は、ウェグナー Wegner,D.M.の「白熊実験」に端を発する。ウェグナーは被験者に「これからしばらくの間、何を考えても構いません。ただし、白熊のことだけは絶対に考えてはいけません。」と教示する。すると当然、被験者は白熊のことを考えないように努力し始める。しかし、努力すればするほど、白熊のことが頭に浮かぶという皮肉な現象が生じてしまう。ウェグナーはこの現象を、皮肉過程理論(theory of ironic process)で説明した。人間が何らかの思考統制(mental control)を行うとき、そこには実行過程(operating process)と監視過程(monitoring process)という二つの認知プロセスが機能する。人間は基本的に実行過程で様々な思考活動を行う。しかし、何らかの理由で思考統制が求められると、監視過程が機能し、実行過程内の統制対象の有無をチェックし始める。白熊を考えないようにコントロールしなければならない時、監視過程が実行過程内への白熊に関する思考の侵入をチェックし始めるわけである。ところが、監視過程が白熊をチェックするためには、必ず白熊を実行過程にのせなければならない。その度に監視過程が白熊を検出し警告を発するという悪循環に陥ってしまう。この悪循環が極めて皮肉な現象であるため、ウェグナーはこれを皮肉過程と呼んだ。
19世紀末、機能主義心理学(functional psychology)の祖ジェームズ James,W.は、それまでの心理学が意識を不変的な構造として理解していたことを批判し、「意識の流れ(stream of consciousness)」という意識の可塑的な機能に注目せよと唱えた。ジェームズに従えば、皮肉な白熊地獄は濁った意識の還流か。濁った生活排水も川から海、海から雲、雲から雨、雨から川という循環を通して清水へと蘇る。哀愁や苦悩も流し雛に乗せて海に還せば、美しい思い出や希望へと蘇ることができるのだろうか。卒業、退職、定年。古巣からの旅立ちを前に、流したくない思い出までも流れゆく無常を想う。
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