ジョージとマンタが見せたもの
ロンサム・ジョージ。ダーウィン進化論の故郷、ガラパゴス諸島に現在も生息するあるゾウガメに付けられた名前である。ガラパゴス諸島の最北にあるビンタ島には、かつて数万頭のゾウガメが生息していた。食用としての人間による乱獲と、ヤギやネズミなど人間の持ち込んだ動物による食物連鎖の崩壊によって、ビンタ島のゾウガメはジョージ一頭のみになってしまったのだ。ジョージを一人ぼっちにさせたのは、やはり人間だった。
私は昨年3月ガラパゴス諸島を旅した。ガラパゴスには一部の島の港町にしかホテルがないため、諸島めぐりをするにはクルージングが基本である。私は諸島めぐりの合間に海に潜ることにした。そこで私は不思議なものを見た。そこに水があることさえ感じさせない空色の空間と、やわらかな風に押し上げられるような浮遊感の中で、二羽の鳥が大きく羽ばたいて私の隣りを飛び去っていったのだ。人間は濃度の高い窒素を吸い続けるとしばしば幻覚や錯乱といった中毒症状に陥る。ダイバーは水圧の関係で非常に密度の濃い空気がタンクから送られるため、吸引する窒素の濃度も高い。窒素中毒か。海の中に鳥がいるはずがない。後からよく考えれば、通称「マンタ」と呼ばれるイトマキエイというエイの仲間が泳ぎ去っていったのである。しかし、私があの時見たのは、確かに大きな翼をゆったりとはためかせ優雅に大空を舞う鳥の姿だった。
知覚心理学者ギブソン Gibson,J.J.は生態心理学という新たな分野を開拓した心理学者として名高い。彼の理論の中核は「アフォーダンス(affordance)」という概念にある。アフォーダンスとは、アフォード(afford)という英語の動詞から作られた造語で、「できるように与えられる性質」といったニュアンスをもつ言葉である。我々人間の手のひらに乗る程度の石ころを蟻の行列を遮るように置いた時、その蟻にとって石ころはどのような性質を持った物体と知覚されるだろうか。おそらく大きな岩山のように知覚されるのではないか。我々大人にとって箸は食事をするための道具である。しかし一歳の子どもにとって箸は食器ではなく、玩具である。このように、そもそも事物というものは客観的・絶対的な構造をもって物理的に存在しているのではなく、動物の行為を引き出すような性質を与えている存在だとみなす点にアフォーダンスの特徴がある。箸は食器としての客観的・絶対的構造をもった物体ではなく、「つまむ」「折る」「叩く」など動物の多様な行為を引き出し得る性質を有する物体であり、動物はその中からいくつかの性質を引き出し、行為をアフォードするのである。大人は箸で「つまむ」が、幼児は箸で「叩く」のである。この理論は認知心理学からは異端視される向きもあるが、人間内部の認知的枠組みが全ての事物を決定するという従来の認知心理学にコペルニクス的転回を与した点で極めて意義深い。
ガラパゴスの海は私に「飛ぶ」という行為をアフォードしてくれた。日本のよどんだ海に育った私にとって、マンタは確かに鳥だったのだ。しかし、ガラパゴスの大自然がアフォードしてくれたものは、人間の豊かなイマジネーションだけではない。ジョージの仲間に「食べる」というアフォーダンスを見出した人間の哀しい知覚には憂いと憤りを覚えざるを得ない。
■参考文献■
佐々木正人 1996 知性はどこに生まれるか―ダーウィンとアフォーダンス 講談社.
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