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2006.02.13

金色の美しさとは

 「24.01」と「26.5」。その差、「2.49」。この大きなポイント差はどこから生じたのか。素人の私には、むしろ「24.01」のコーク720の方がはるかに美しく金色に輝いて見えた。
 
 人間のもつ表象能力(直接知覚に頼らずに心の中に事象を思い浮かべる能力)には、イメージと言語の大きく二つのルートがある。「リンゴ」という音を聞いたとき、我々はリンゴの画像イメージを心の中に思い浮かべることもできるし、果物の仲間というように言語的つながりの中で思い浮かべることもできる。この仮説を二重符号化仮説(dual coding hypothesis)という。しかし、この二つのルートは同じ比重で均等に機能しているわけではなさそうだ。我々は新聞や書籍などの活字で読んだ大震災の惨劇よりも、テレビで映像化されたものを見た方が、その悲惨さがより生々しく心に残る。これは言語ルートよりもイメージルートの方が表象として優位であることの証左であると考えられる。だからこそ、図やチャートを利用した解説書が書店をにぎわすのである。
 

David リード Reed,S.K.という心理学者は、ダビデの星(右図)を思い浮かべたとき、この図形の中に三角形が含まれていることはすぐに判断できるにもかかわらず、平行四辺形が含まれていることはすぐには判断できない傾向があることを指摘した。もし単純に言語ルートよりもイメージルートの方が優位であるならば、平行四辺形も三角形と同様すぐに判断できなければならない。しかし、そうはならない。これは人間の表象能力が単純にイメージ優位とはいいきれず、「解釈」という言語ルートに依存する部分もかなり大きいことを実証した研究といえる。こうした指摘により10年以上にも及ぶ「イメージ論争」と呼ばれる論争が繰り広げられることになった。

 スキーモーグルに限らず、フィギュアスケートや新体操、シンクロナイズドスイミングなど、人間がその知覚を頼りにスコアリングをする競技は多い。もちろんジャッジ達は専門のトレーニングを受け、基準となる理想的なエアやフォームのイメージを洗練させてきたのだろう。その基準にもとづきスコアリングをしていることは間違いない。しかし、背後にあるステレオタイプ的な知識などの言語ルートからの干渉を完全に排除できているという科学的保証もないのではないか。
 
 こうした競技は、「美しさ」を競うという点で、デジタルな数字で表現される競技に比べ、人間らしさがより際立つ。手に汗握る躍動感というよりも、心の内奥に染み入るような感動を我々観客達に与えてくれる競技だ。しかし、競技である以上、勝ち負けがついてきてしまう。こちらが負けたときにだけ、ジャッジの言語ルートを疑ってしまう偏屈屋はきっと私だけではあるまい。

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