2006.03.27

顧客志向の複雑

 苦境に立つ米国GMの戦略転換によって資本提携の先行きが見えないスズキの軽自動車が危ない。日本国内の軽自動車市場は急速な拡大傾向にあり、2005年の年間新車販売台数ではスズキのワゴンRが依然首位を保つ。しかし、うかうかと悦に入る場合ではない。J.D.Power ASIA PACIFICという米国系調査会社の昨年12月に行われた調査によれば、軽自動車販売サービスのメーカー別顧客満足度ランキングではスズキは何と4位に甘んじてしまっているのだ。一般に、品質の良さ、価格の安さという競争力は市場の成長とともにその勢いを減じ、付帯サービスという競争力が市場を揺るがすようになる。品質や価格があまり変わらないのであれば、担当者の接客態度やサポート体制の完備など、顧客の視点でサービスを提供してくれる商品を選ぼうとするのは、当然の消費者心理であろう。品質と価格で勝負してきたスズキの付帯サービス戦略は今重要な局面にある。
 
 「いい木を見ると、その木の中にバットが浮かんで見えるんです。」
 WBC初代王者に輝いた王ジャパンのキャプテンイチロー選手のバットを作り続けてきた久保田五十一さんは語る。年間3万本超の木材を仕入れるが、そのうちプロ用のバットに生まれ変わるのは、わずか3割に過ぎないという。最高の素材を見抜く力と卓越した技によって生み出されたプロの品質が、プロの雄姿をさらに輝かせる。ものづくり大国日本の魂は、「もの」にこそ込められるべきではないのか。顧客に迎合するサービス業の急速な台頭を尻目に、戦後の高度経済成長を支えた職人魂復活を願う声は多い。BRICsによる製造業界席捲は、ものづくり大国日本のアイデンティティを揺るがす由々しき事態なのであろう。
 

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2006.03.20

美しく咲き誇る桜の下で

 全国各地で平年より少し早めの春の便りが届く。今年は高知県の桜がどこよりも早く春色を添えた。高知の桜と言えば、高知城や牧野公園が有名だが、高知市神田にある和霊神社という山間の小さな神社の桜の花にこの時期格別の思い入れを抱く人は多い。
 
 今から144年前の3月24日、和霊神社の桜を見に行くと言って家を飛び出した28歳の青年がいた。美しく咲き誇る桜の花に彼の瞳は何を映したか。やがて日本の夜明けを眼差すこととなるその瞳は、桜の花の輝きに日本人「坂本龍馬」が大きく咲き誇る雄姿を重ね映したに違いない。この日、坂本龍馬は「土佐藩の郷士」から「日本の志士」へと生まれ変わる命懸けの決意をした。
 

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2006.03.13

明日地震で死ぬ不安

 耐震偽装問題が拡大を続けている。先月九州地方を騒がせた「非姉歯問題」は、今月7日遠く遥かな北の大地へと魔の手を伸ばした。これで日本全土が偽装だらけの底なし沼にはまってしまったかのような暗澹たる気分が人々を襲う。国土交通省はこの事件を受け、国民の不安を払拭するために、全国のマンション500棟の標本調査を実施する方針だという。
 
 こうした一連の耐震偽装問題の根源には、大震災に見舞われても自分や家族や身近な人々が安全に暮らせる保証を得たいという人間の安全欲求が横たわる。誰もが明日死ぬかもしれないという不安は拭い去りたいものだ。明日死ぬ確率をいかに小さく抑えられるか。それが明るい未来への第一歩につながる。
 

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2006.03.11

幡も風も心も

 母親と生活していた頃から、少年には不登校や家庭内暴力が見られたという。母子の行き詰った生活に新たな風を吹き入れようという試みは、父親とその再婚相手と生後2ヶ月の長女によって構成されるステップファミリーという形態をとった。なぜこの家族は炎に包まれねばならなかったのか。生育環境や家庭環境、学校問題、心脳問題。東京世田谷で起きた中学二年生の少年による自宅放火事件は、人間の飽くなき原因究明への欲望をまたしても駆り立てるに違いない。
 
 南宋の禅僧、無門慧開は『無門関』という書物を著し、禅問答の本質を説いた。その中に、非常に有名な「非風非幡」という問答がある。二人の僧が幡(はた)が風に揺れる様子を眺めながら、一体何が動いているかについて言い合いをしている。一方の僧は「幡が動くのだ」と主張し、もう一方の僧は「風が動くのだ」と言う。その押し問答を聞いた祖師は、「幡が動くのでも、風が動くのでもない。お前達の心が動いているのだ」と言った。しかし無門は、二人の僧の幡や風が動くという言動のみならず、祖師の心が動くという言動の浅薄さをも指摘した。無門いわく、幡だの風だの心だのと言葉にしてしまった時点で、すでに物事の本質を見失っているのである。
 

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2006.03.09

大量花粉で傷つく心

 控えめな佇まいの梅の蕾が、例年より少し遅めのほころびを見せている。この冬の厳しい寒さは、梅の花の優美な勢いを挫いてしまったが、人間の鼻の無益な勢いも挫いてくれたようだ。今年はマスクや目薬の売れ行きも鈍いという。
 
 早春の爽快な陽気を台無しにする花粉症などのアレルギーは、人間の身体に備わっている優れた免疫機構によってもたらされる。免疫機構は、細胞レベルで「自己」と「非自己」とを選別し、「非自己」を駆逐することで「自己」の純粋性を保つ仕組みである。近年のアレルギー疾患増加の要因として、外部環境における花粉やハウスダストなどの抗原(アレルゲン)という特定の「非自己」の増加と、食生活変化や体内寄生虫減少による人体内部の「非自己」駆逐部隊の余剰が指摘されている。アレルギー現象は「非自己」への潔癖さゆえに「自己」までも駆逐していく免疫機構の持つ脅威を映し出す。
 

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2006.03.07

郷を失くした人々

 過疎化が進む地方の自治体で、高齢者向けコミュニティビジネスの意気が揚々だ。介護福祉・医療分野はもちろん、高齢者向けの弁当宅配サービスや買い物代行サービス、高齢者たちの集い場提供サービスなど、自治体や企業、NPOなどがこぞって創意工夫を凝らしている。少しでもお年寄りの住み良い街をつくりたい。そんな建前の裏側には地方都市の厳しい懐事情が見え隠れする。少子高齢化と過疎化という日本の抱える大きな荷物は地方都市ほど重い。

 私が最近転居した地域には、「御日待(おひまち)」と呼ばれる年中行事がある。元来は氏神や産土神といったその土地の神を信仰する民間信仰の儀式であった。現在では信仰という色彩が薄らぎ地域住民同士の親睦やコミュニケーションの場として活用されることが多いという。それまで住んでいた地域にはこのような行事がなかったため当初は戸惑ったが、地域コミュニティの崩壊が叫ばれる今日にあって、こうした伝統の残照に幽遠の境地を覚えた。
 

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2006.03.05

泣き声は抱いて待て

 「熟田津に船乗りせむと月待てば  潮もかなひぬ今は漕ぎいでな(額田王)」
 
 気象警報、海上警報、海難警報をもって海上の安全情報を船舶運行者に対し迅速に提供する海上保安庁の業務は、今日の海上輸送・交通には欠かせない。こうした情報提供のおかげで、月を待たずに漕ぎ出づる無謀さは激減したが、どんなに船舶技術が進歩しようとも、荒波を前に月を待つことしかできない人間の無力さは万葉集の時代から変わらない。

 育児をしていると、未だに「抱き癖」を心配する声を耳にする。「抱き癖」という心理的性質が存在することは育児経験をした人ならば誰もが了解することだろう。乳児にもある程度の学習能力が備わっている。「泣けば抱っこしてもらえる」という因果理解が成立していることは確かである。赤ん坊が泣いてもすぐに抱き上げず、しばらく泣かしておかなければならない。赤ん坊は泣くのが仕事だ。「抱き癖」は子どもの甘えを助長し、その甘えはその後の発達に暗い影を落とす。抱きたい気持ちをグッと我慢するのが育児の基本である。一昔前のしつけ論では、この考え方が本気で信じられてきた。「鉄は熱いうちに打て」なのである。

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2006.03.03

哀愁は流し雛に乗せて

 ひな祭りの起源は紀元前4~3世紀頃の中国にある。当時の中国は春秋戦国時代の後期で動乱の世も佳境を迎えていた。そんな中、小川のせせらぎを聞きながら詩歌を詠み交わす「流觴曲水宴」という宴が荒廃した人々の心を和ませた。小川は戦乱の労苦を水に流してくれた。ここから、人形に自らの災厄を背負わせて、小川のせせらぎに流す「流し雛」という行事が誕生したという。
 
 戦乱からははるかに遠い現代日本社会においても、水に流したい過去というのは誰しもひとつくらい持っているものであろう。しかし、忘れようと努力すればするほど、大きく頭をもたげ心を乱すから始末が悪い。現代のひな祭りでは、ひな人形を川に流さず、ひな壇に飾ったり押入れの奥に仕舞い込んだりするから、忘れたい過去や苦悩もなかなか水に流れないのではないか。
 

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2006.03.01

1%の閃きと99%の努力

Abduction_1  「(右図を提示して)ここに10本の棒があります。さて、この棒はなぜ10本あると言えるのでしょうか。10本という数字を導くための式を考えてみてください。」少子化と地方分権の波に乗って、小中学校の多くが多様な授業のあり方を模索している。子供たちに「考える力」を身に付けさせるため、小学算数の授業に証明問題を導入する学校が増えているという。「3×6-6-2」「6+1+1+1+1」「6+6-2」。子どもによって10という数字に辿り着くための道筋は多様だ。
 

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2006.02.25

栄光の真贋

 戦国時代、足軽などの下流武士たちは兜を被ることを許されなかった。戦場で最初に矢面に立たされるのは彼ら下流武士である。そんな彼らが被るのは矢や鉄砲を防ぐことができない陣笠であった。それでも彼らは、陣笠を着ることに大きな誇りを感じていた。なぜか。陣笠には主君のご威光の象徴である紋所が刻まれていたためである。
 
 大きな期待を寄せられながらも不調に甘んじていたオリンピック日本勢に新たな光をもたらしてくれたのは、不屈の精神であった。かつて引退も覚悟していたという彼女の晴れ舞台は、誰から見ても眩しかった。日本スケート連盟のエリート人材育成の功績を称える声も多いが、それとて本人の地道な努力抜きには成立し得ない。まずは、彼女の不屈の努力を称えたい。
 

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2006.02.23

ジョージとマンタが見せたもの

 ロンサム・ジョージ。ダーウィン進化論の故郷、ガラパゴス諸島に現在も生息するあるゾウガメに付けられた名前である。ガラパゴス諸島の最北にあるビンタ島には、かつて数万頭のゾウガメが生息していた。食用としての人間による乱獲と、ヤギやネズミなど人間の持ち込んだ動物による食物連鎖の崩壊によって、ビンタ島のゾウガメはジョージ一頭のみになってしまったのだ。ジョージを一人ぼっちにさせたのは、やはり人間だった。
 

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2006.02.22

母性は本能に非ず

 「日本での生活になじめなかった」「仲間に入れてもらえない」滋賀県でまたも痛ましい事件が起こってしまった。中国国籍の容疑者が幼稚園児2人を通園途中に刺殺した事件だ。不幸が不幸を呼ぶこの哀しき鎖を断ち切る術はないのか。
 
 先日、私は息子の予防接種に行ってきた。病院の受付では必ず「母子手帳をお出しください」と言われる。固有名詞である「母子手帳」をそれ以外の名称で呼ぶことができないのはよくわかる。しかし、心の片隅でどこか釈然としない。「あなたの目の前にいるのは“母子”ではなく、“父子”である。」行政もそろそろ「親子手帳」という名に変えてくれないだろうか。
 

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2006.02.21

人間主義の眩しさを越えて

 ハニヤ氏は武装放棄を実現できるか。欧米諸国やイスラエルが制裁発動に動く中、パレスチナ情勢は未だ予断を許さない。今世紀のパレスチナ情勢は人間性心理学の権威ロジャーズ Rogers,C.R.の遺した祈りを粉々に踏み潰していった。それでも、彼の点した光は決して費えてはいない。
 
 「日本・イスラエル・パレスチナ合同学生会議」というインターカレッジの学生団体がある。イスラエル、パレスチナ、日本それぞれの学生間の対話を通じた相互理解を志向する団体である。同会議は昨年8月で3回を数えた。各国の学生達は自分達が「真の友人」であることを共に確認し合ったという。草の根の生命力はシャロン首相のブルドーザやハマスの聖戦の破壊力をはるかに凌ぐと信じたい。
 

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2006.02.20

心の予想屋という自戒(その弐)

 米国ペン農務次官によれば、「車でスーパーに買い物に行って事故に遭う確率の方が(BSE感染牛を食べる確率よりも)よほど高い」らしい。科学的根拠というものは政治的判断というバイアスによって歪められるのが常である。これでは、かつて政治が宗教を利用したのと何も変わらないではないか。
 
 日常生活で確率を云々する機会は多いが、「確率的」であることを証明するのは実はとても難しい。サイコロを転がして特定の目を出す行為は一般に確率的とされるが、これとて確率的でない要素が入り込む余地はある。サイコロの角がほんの一部磨り減っていたり、表面の凹凸が各面で一様でなかったり、ある面の中にだけ鉛が入っていたり。何万回、何十万回と振り続けても、特定の目が出やすかったり出にくかったりするならば、それは「確率的な振る舞い」をしないサイコロである。イカサマ博打でない限り、新しいサイコロに交換した方がよい。しかし、数回から数十回程度振ってみたところでそれがイカサマサイコロかどうかを判断することは難しい。そんなときはサイコロを噛み割って鉛の有無を確認した方がよほど話は早いが、時代劇のようにサイコロをうまく噛み割るのも我々素人には難しかろう。
 

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2006.02.17

心の予想屋という自戒(その壱)

 私はかつて年齢の割りに老けて見えるとよく言われた。「落ち着きすぎて、初老のおっさんみたい」などと。しかし、最近は年齢より若く見られることの方が多くなった。「え~、そんなに年いってるの!?」などと。全く人間の年齢評価などいい加減なものである。
 
 年齢より若く見える、あるいは老けて見えるというとき、そこには年齢相応の見え方という基準が存在する。それを決定しているのは確率論的なものの考え方である。今年成人式を迎えた有名人といえば、上戸彩、山下智久、宮里藍、浜口順子などがいる。ある個人が頻繁に目にする、こうした有名人やその個人の周囲の20歳の身内や知人が、その個人にとっての20歳の標本(sample)となる。その個人が集めることができる標本の中で、最も出会う確率が高かった20歳イメージが代表となる。こうして、日本人の20歳は大体こんな感じという代表値(average)が完成するのである。人は、その代表値という基準に照らして、若く見えるか、老けて見えるかを判断している。しかし、外国人との交流で気づくことだが、この代表値は全く普遍性をもっていない。例えば、欧米諸国の20歳を日本の代表値と照らすと、ほとんどが老けて見えてしまう。日本の代表値は日本でしか通用しない。標本をとったのが日本なのだから、代表値が代表しているものも日本人という母集団(population)に限定されるのだ。
 

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2006.02.16

ひきこもりは一日にして成らず

Anthill_2  一昨年大ヒットとなった映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の象徴であるエアーズロック。エアーズロックのあるオーストラリア中央部の赤砂の砂漠地帯をレッドセンターと呼ぶ。この砂漠地帯には多くの「蟻塚」と呼ばれる奇妙な物体が散在する。この物体は実は非常に複雑で美しい造形をした蟻の巣である。この地域の蟻たちは、砂を運んでは分泌液をお尻から出し砂と砂とを接着させるという行動習性を持つ。この分泌液には匂い成分であるフェロモンが含まれており、他の蟻を呼び寄せる機能を持つ。たまたま偶然に通りかかった他の蟻がそのフェロモンにつられて、そこに砂をくっつける。さらに、そのフェロモンにつられた蟻が砂をくっつける。これを繰り返すことで出来上がった建築物が「蟻塚」なのである。当然、蟻たちは「こんな蟻塚をつくろうか」などと経営者会議を交わしていたわけではない。誰の指図を受けたわけでもない。それぞれの蟻たちはただ砂と砂をくっつけるという単純な行動をとっているにすぎない。偶然が偶然を呼んだ結果、こうした作品が完成しただけなのである。
 

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2006.02.15

新型三行り半

 江戸時代、原則的に妻の側から離縁を申し出ることはできなかった。妻が離縁したくなったら、縁切寺に駆け込み、夫の離縁状を請求してもらうしかない。この夫の離縁状は三行り半で書かれることが多かったという。三行り半は本来、夫の側の一方的な離婚確認文書であった。
 
 今年の冬は寒さが厳しい。インフルエンザの猛威もとどまるところを知らない。新型インフルエンザの恐怖が取りざたされる中、インフルエンザ予防接種を受ける人も増えているという。予防接種で利用されるワクチンは予防しようとしているウィルスそのものから精製される。不活性化したウィルス粒子を体内に接種することで感染防衛免疫を誘導させるのである。
 

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2006.02.14

当たり前チョコはもうあげない

 バレンタインデーの起源は三世紀のヨーロッパ、ローマ帝国時代にさかのぼるという。兵士達の恋愛や結婚が禁じられた時代に恋人達を保護したキリスト教司祭ヴァレンティヌスの反体制的な慈愛心を称えた日である。この起源を考えると、最近はめっきり義理チョコをもらう機会が減ったなどとため息を漏らす自分がひどくちっぽけな人間に映る。

 1964年米国ニューヨークの繁華街。キティ・ジェノベーズという若い女性が何者かによって殺された。犯行現場には38人の目撃者がいた。しかしそのうちの誰もが彼女を助けようとしなかった。社会心理学領域で有名な「キティ・ジェノベーズ事件」である。
 

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2006.02.13

金色の美しさとは

 「24.01」と「26.5」。その差、「2.49」。この大きなポイント差はどこから生じたのか。素人の私には、むしろ「24.01」のコーク720の方がはるかに美しく金色に輝いて見えた。
 
 人間のもつ表象能力(直接知覚に頼らずに心の中に事象を思い浮かべる能力)には、イメージと言語の大きく二つのルートがある。「リンゴ」という音を聞いたとき、我々はリンゴの画像イメージを心の中に思い浮かべることもできるし、果物の仲間というように言語的つながりの中で思い浮かべることもできる。この仮説を二重符号化仮説(dual coding hypothesis)という。しかし、この二つのルートは同じ比重で均等に機能しているわけではなさそうだ。我々は新聞や書籍などの活字で読んだ大震災の惨劇よりも、テレビで映像化されたものを見た方が、その悲惨さがより生々しく心に残る。これは言語ルートよりもイメージルートの方が表象として優位であることの証左であると考えられる。だからこそ、図やチャートを利用した解説書が書店をにぎわすのである。
 

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2006.02.12

その計算は妥当か

 「非姉歯物件」として耐震偽装の嫌疑がかけられた建築士が福岡市に抗議している。福岡市が調査依頼した業者の構造計算プログラムで計算したところ当該物件の耐震強度が基準値を満たしていなかったという。しかし、渦中の建築士は構造計算プログラムの種類によって算出される結果は変わるため、一つの算出結果のみから偽装を疑うのは拙速だと怒りを顕わにしている。
 
 ことの真相は今後の展開を待つとして、ここで問題となっているのは「構造設計の安全性を評価する上で、構造計算プログラムによる計算が妥当な構造計算といえるか」ということである。思い起こせば1ヶ月弱前にも似たような議論があった。「株価という企業価格は企業価値を評価する上で妥当な指標といえるか」という株高経営ライブドアに関する議論である。
 

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2006.02.09

結婚は毒薬か

 「Gift」という英単語は、「give」から派生し「与えられたもの」との意味を持つ。そこから、「Gifted Child」や「Gifted Education」といった言葉が生まれた。スウェーデン語の「Gift」には「結婚」と「毒」という2つの意味があるという。結婚もその生活の営み方次第では、毒薬にもなるということだろうか。実に示唆に富む言葉である。

 一年半ほど前の私の結婚式で「Gifted Box」というテーマを設定した。結婚という人生の通過儀礼の中で、私はどうしてもこの「与えられ、そして与えてゆくもの」という世代性をテーマにしたかった。結婚式ごときでテーマなどというと背中がむず痒くなる人もいるかもしれないが、人間の心にとって通過儀礼は極めて重要である。その強い信念が、やや大それたテーマを設定させた。

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2006.02.07

理性の彼岸

 私は親バカではなかったつもりだが、生後5ヶ月半の我が息子がかわいくてしかたない。こちらの語りかけや微笑かけに、満面の笑みで応答してくれる。屈託や詭弁や欺瞞のない純粋なコミュニケーションの中で、私は今まさに生かされていることを実感する。確か生後2ヶ月頃から彼は何となくこちらの笑顔に応答し、ニヤッと微笑んだりしていた。考えてみれば不思議なものである。「これを笑顔といいます。嬉しい時や幸せな時にする表情です。」なんて教え込んでもいないのに、相手が笑顔であることを認識し、自らも笑顔を作ってそれに呼応するなどという複雑な認知行動操作をやってのけてしまう。おそらく、こうした能力は遺伝子に組み込まれて誕生するのだろう。
 

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2006.02.06

待ち組だって負けている

 NEET(Not in Employment,Education or Training)の定義から言って、統計上現在の私はきっとここに分類されてしまっているに違いない。よりによって、私の院浪(大学院浪人)最中に国勢調査をやらなくてもよいではないか。そうはいっても、ある意味「待ち組」ではあるのだが。

 ニートやフリーターを「待た」せている心理学的要因は何か。社会的関心が高い問題ゆえに、様々な研究が現在着々と進められているが、その一つに社会心理学者ヒギンズ Higgins,E.T.の提唱したセルフ・ディスクレパンシー(self-discrepancy)との関連に関する研究がある。

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2006.02.05

わかってるふり

 「わかってるふりしてしまったことありませんか?」でおなじみ、NINTENDO-DSソフト「英語漬け」のCM。このCMを見て、グサッとくるのは、私だけではあるまい。CMで登場する俳優たちは、あえてわかりやすく「わかってるふり」を演じている。しかし、きっと私は彼らよりもはるかにわかりやすく「わかってるふり」をしているはずだ。自信がある。もっと上手に「わかってるふり」をしたい。その前に英語を勉強しろという最もなご指摘は、この際棚上げしちゃおう。

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2006.02.04

人間らしいたばこの吸い方

 早ければ今年4月にもたばこ1箱あたり20円も増税されるという。全面禁煙を謳うオフィスやビルも日増しに多くなる。こうした事態を見聞きするたびに、つくづくたばこをやめていてよかったと胸をなでおろす。私は5年前にたばこをやめた。別段、意志が強かったわけではない。ある日突然血を吐いてみれば、たいていの人がたばこを吸うリスクの大きさに恐怖せざるを得まい。この恐怖に打ち克つほどに頑なな信念を、私はたばこに対して持ち合わせていなかっただけとも言える。

 愛煙家がこれほどまでに窮屈な思いをする社会になってもなおたばこを吸い続ける人の心理に関して、社会心理学や認知心理学の研究は豊富な視座を与えてくれる。その一つに、リスク認知(risk perception)がある。種々の疫学研究から、たばこが寿命を縮める大きな要因となっていることはほぼ確定的といってよい。それでもなおたばこを吸い続けるのは何故か。そこには、医学面からみた物質的依存性の他に、人体へのリスクを過小評価する心理学的メカニズムが介在している。

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